紫鈴

「りいおにいちゃん」の僕と「鈴音」の俺のめちゃくちゃブログ

僕と俺

意外と書くことはあるもので、

今の一人称のごちゃごちゃな理由について書いてみようか。

 

小さい頃は僕だった。

そのうち俺になった。

月花は「お兄ちゃんでいて欲しい」と言った。

おにいちゃんは僕の領分だった。

僕と俺との違いが月ちゃんには分かっていなかった。

簡単に言えば、子供と大人。柔剛。

おにいちゃんとして僕は問題なく過ごした。

しいちゃんと月ちゃんの違いを理解するまでは。

 

俺として過ごし始めても、暴力的人格になっても、

月花は変わらなかった。

俺を兄として認識していた。

大人になっても変わらない。

子供だけの価値もあれば、大人だけの価値もある。

両方にある資質もない資質もある。

それだけのことだった。

僕としても過ごすようになった。

 

いづちゃんに「私でもいづちゃんでも依月でも一緒なの」と言われてから、

そこら辺、ひどく適当になっている。

僕でも俺でもりいでも鈴音でもそれが表すものは同じだから。

 

吐き出してしまいたいものが多くて、困るくらいだ。

多すぎて、吐き出すことすら忘れてしまう。